私達が食べているお米は「八十八回手を掛ける」と書きます。八十八回は沢山手を掛けるという意味だそうです。
昔は今の様な機械がなかったので、田植えから稲刈り迄全部手作業だったと聞いています。そんな事を思い出しながら朝の散歩をしていると、稲を干してある懐かしい光景に思わずシャッターを切りました。
この景色を見ながら、お米が出来るまで88回も手を掛ける(沢山の手間がかかる)という事を知ってふっと思い出したのが、やさしかった義母の事です。
義母が健在だった時は、子供たちをバスに乗せてよく遊びに行きました。
子供たちがランドセルを背負っていた頃、おばあちゃんが良くこんなことを言っていたのを思い出します。
雨が降ると「荷物が増えて濡れるからかわいそうだな。気を付けて歩けよ」雪の日は「こんなに雪が降って手足が冷たいだろうな」 晴れた朝には「今日は元気に学校へ行ったかな。良かったな」と、いつも心配してくれていました。
若い時は忙しく動き回って、他の事迄考える余裕もなかったのに、こうして孫を持ってみると義母のありがたさが一層伝わってきます。
年を取ってくると、人の心は色んなものが見える様になるんだなと思います。
この稲を干してある景色を見ながら、米も人も沢山手を掛けて貰って生きてるんだなぁな。
とありがたさを感じる朝でした。